「本人の意識」の問題にすると、そこで考えることが止まる

仕事で何か問題が起きたとき、

「本人の意識が足りない」

という話になることがある。

確認を怠った。

報告しなかった。

ルールを守らなかった。

同じミスを繰り返した。

もっと責任感を持ってほしい。

もっと注意してほしい。

もっと自分で考えてほしい。

もちろん、本当に本人の問題であることもある。

どれだけ仕組みを整えても、

最後は一人ひとりが考えて動かなければならない。

でも、

「意識の問題ですね」

という言葉を聞くと、

少し気になることがある。

それを原因にした瞬間、それ以上考えなくてもよくなってしまうからだ。

なぜ確認しなかったのか。

確認する時間がなかったのかもしれない。

確認項目が多すぎたのかもしれない。

誰が確認するのか曖昧だったのかもしれない。

そもそも、その確認が必要だと理解されていなかったのかもしれない。

報告しない人についても同じだ。

報告する意味が分からない。

報告すると面倒なことが増える。

過去に報告しても何も変わらなかった。

報告しづらい人間関係になっている。

そんな背景があるかもしれない。

人の行動だけを見ると、

「ちゃんとやっていない」

で終わる。

でも、その人がそう動くことになった環境まで見ていくと、

別のものが見えてくることがある。

これは、

本人を甘やかすという話ではない。

責任をなくすという話でもない。

ただ、

問題の原因を「人」に置く前に、

その行動が起きやすい構造になっていないか

を考えてみる。

もし同じような問題が、

別の人でも何度も起きているなら、

なおさらだ。

人を変える。

教育する。

注意する。

評価する。

それもひとつの方法だと思う。

でも、

人を変えようとする前に、

仕事の流れやルール、役割、情報の渡り方を変えることで、

問題そのものが起きにくくなることもある。

「意識が足りない」で終わらせるのは簡単だ。

だからこそ、

その言葉が出てきたとき、

もう一度だけ考えてみる。

本当に、人の問題なんだろうか。

玉井 安行 / ホームポジションデザイナー

南信州を拠点に、小さな会社や経営者の「整理しきれないこと」を一緒に考える仕事をしています。

事業、採用、Web、生成AIなど、テーマはさまざま。でも、すぐに答えを出すのではなく、「そもそも何が問題なんだろう?」というところから考えることを大切にしています。

経営や仕事について、誰かと一度整理してみたいことがあれば、ご相談ください。
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