少し前まで、何かをつくるためには、そのための技術を身につける必要があった。
文章を書く技術。
デザインする技術。
プログラミングする技術。
データを分析する技術。
それぞれに専門的な知識や経験が必要で、習得するまでには相応の時間がかかった。
ところが、生成AIの登場によって、その状況が大きく変わり始めている。
文章を書けなくても、文章をつくれる。
絵を描けなくても、画像をつくれる。
プログラミングを知らなくても、アプリケーションをつくれる。
もちろん、専門的な技術が不要になったわけではない。
ただ、これまで技術を持つ人にしかできなかったことが、技術を持たない人にもできるようになってきた。
そこで、少し考えてみたいことがある。
何かをつくれることが特別ではなくなったとき、人間にはどんな技術が求められるんだろう。
例えば、AIを使ってホームページをつくるとする。
見た目の整ったサイトをつくることは、以前よりずっと簡単になった。
でも、そのホームページに何を掲載するのか。
誰に見てもらいたいのか。
何を伝えたいのか。
そもそも、ホームページをつくる必要があるのか。
こうしたことは、ホームページをつくる技術とは別の話だと思う。
AIは、与えられた指示に対して、驚くほど完成度の高いものを返してくれる。
だからこそ、何を指示するのかが重要になる。
そして、出てきたものを見て、
「なんか違う」
と感じることもある。
その違和感がどこから来るのか。
何が足りないのか。
何を変えればよくなるのか。
それを考え、判断し、必要ならつくり直す。
つくる技術だけでなく、つくられたものを評価し、方向を決める技術。
そんな能力の重要性が高まっているように感じる。
ただ、これは単純に、技術者が不要になるという話ではない。
むしろ、専門的な知識や経験があるからこそ、AIの出力に潜む問題に気づけることもある。
何が正しく、何が危ういのか。
どこまで任せられて、どこから自分で確認すべきなのか。
そうした判断には、これまで培ってきた技術が役立つ。
変わったのは、技術そのものの価値というより、技術をどこで使うのかということなのかもしれない。
これまでは、自分の手で完成させるために技術を使っていた。
これからは、何をつくるべきかを考え、AIがつくったものを評価し、完成に導くためにも技術を使う。
そして、もうひとつ。
つくれるようになったからといって、つくる必要があるとは限らない。
何をつくるかだけでなく、何をつくらないか。
そこにも判断が必要になる。
AIによって、人間ができることは増えた。
でも、それは人間が考えなくてよくなったということではない。
技術が不要になったのではなく、求められる技術の種類が変わった。
僕には、そんな変化が起きているように思える。
