「あの人は能力がある」
そう言うとき、僕たちは何を見てきたんだろう。
知識がある。
計算ができる。
文章を書ける。
分析できる。
企画できる。
プログラムを書ける。
仕事が速い。
こういうものを、僕たちは長い間「能力」と呼んできた。
もちろん、これからもそれらに価値はあると思う。
でも生成AIを使っていると、
その定義そのものが少しずつ変わっていくような気がする。
AIは、すでにかなりのことができる。
文章を書く。
計算する。
分析する。
アイデアを出す。
コードを書く。
資料をつくる。
そして、その水準はこれからも上がっていく。
だとすると、
「できることが多い人=能力が高い人」
という見方は、少しずつ成立しにくくなるのかもしれない。
では、何が残るんだろう。
最近、そんなことを考える。
何をしたいのか。
何を大切にするのか。
何を選ぶのか。
何をやらないのか。
出てきた結果を見て、どう感じるのか。
そして、その結果を自分で引き受けるのか。
こうして並べてみると、
ずいぶん人間臭い。
正解があるわけでもない。
速ければいいわけでもない。
知識が多ければ決められるものでもない。
むしろ、迷う。
矛盾する。
昨日と今日で考えが変わる。
それでも最後には、
「自分はこっちにする」
と決めなければならない。
これまで僕たちは、
正しく答えられる人や、
速く処理できる人を、
「能力がある人」と評価してきた。
でも、正しい答えや高速な処理をAIが担うようになったとき、
人間に残るのは、
答えを出すことより、
何を答えにするのかを決めること
なのかもしれない。
そして、その決定には、
その人が何を大切にしているのかが、どうしても表れる。
AIが人間の能力を奪っていく。
そういう見方もできる。
でも、もしかすると逆なのかもしれない。
これまで「能力」と呼んできたものの一部をAIが引き受けることで、
僕たちは、
その人にしか決められないものは何なのか
を、以前よりはっきり問われるようになる。
能力という言葉が、
技術や知識から、
選択や判断へ少しずつ移っていく。
その先で、
「仕事ができる人」という言葉の意味も、
今とはずいぶん違うものになっているのかもしれない。
