生成AIを使っていると、ときどき不思議な感覚になる。
以前なら、かなりの技術が必要だったことが、驚くほど簡単にできるようになった。
文章を書く。
画像をつくる。
Webサイトをつくる。
資料をまとめる。
コードを書く。
もちろん、まだ技術による差はある。
AIを使えば誰でも同じものができる、というほど単純ではない。
でも、「ある程度ちゃんとしたものをつくる」までの距離は、確実に短くなっている。
では、この先どうなるんだろう。
技術の価値がなくなるのだろうか。
たぶん、そうではないと思う。
むしろ技術が当たり前になるほど、別のものの比重が大きくなる気がしている。
たとえば、写真。
きれいな写真を撮るだけなら、以前よりずっと簡単になった。
それでも、誰が撮った写真でも同じとは思わない。
音楽もそうだ。
演奏が上手い人はたくさんいる。
歌が上手い人もたくさんいる。
それでも、なぜか聴きたい人と、そうではない人がいる。
そこには技術だけでは説明できないものがある。
その人が何を見てきたのか。
何を大切にしているのか。
なぜ、それをつくろうと思ったのか。
何を選び、何を選ばなかったのか。
そういうものが、つくられたものの後ろにある。
仕事も同じなのかもしれない。
ホームページをつくれる人。
文章を書ける人。
資料をつくれる人。
AIによって、これからもっと増えていく。
すると、
「何ができる人なのか」
だけでは、違いが見えにくくなる。
そのときに残るのは、
「なぜ、あなたがそれをやるのか」
なのかもしれない。
技術が珍しかった時代は、できることそのものが価値になった。
でも、できる人が増えていくほど、
その技術を何のために使うのか。
何をつくらないのか。
誰のために使うのか。
そんな、その人自身の判断が見えるようになる。
AIの時代に必要なのは、
人間らしさを無理につけ足すことではない気がしている。
技術の後ろに、
もともとそこにいた自分が、以前より隠せなくなるだけなのかもしれない。
